例えササっとでも可愛い絵が描けると、
“もうこの次はこれ以上のものは描けないんじゃないか”っていつもそんな気持ちに襲われる。
でも、自分が思うかわいいの源泉は自分だし、描いたのも自分なんだから、いくらでも生み出せるんだよ!
って思うと安心してよく眠れる。
楽しい旅行をした時もそのような感覚に襲われる。
でも喜びの源泉は自分。
次どこに行っても自分が喜びさえすれば喜べるんだから!
て思えば大丈夫になる。
それに気づいたら、常に小籠包食べてる瞬間と同じくらい喜んでてもいいんじゃん、てことに気づいた。
寧ろこの世界は小籠包。の中くらいあったかい。
全ての源泉が自分なら、もうなにもいらない。
全部持ってるんだし。
っていうくらい安心感に満たされてる🌸
て文章に書く自分と、
意識しないと絵を書けない自分。
少しも意識して書いてない。
やっぱり明らかに自分が2人いる。
自分を自分だと意識して演じている自分がいる。
とっても不思議。
表現していない人なんていないっていうのは、きっとそういうことなんだ。
自分を演じている以上、自分を表現しているから。
まるで一人一つ、
操り人形を持っているような感覚。
自分が理想とする人形をうまく操れないのは、
明らかに糸が絡まっている状態。
(心理的には5歳までのどこかで、人に絡まされたっていう表現が一番合う気がする)
人形に当てているスポットライトを、操っている自分の顔にあてたらどうなるんだろうって思う。
本心が現れるのかな?
“こうしなければならない”が全部消え去る感覚な気がする。
「人形にはそう言わせてるけど、自分は本当はどう思ってるの?」
って自分に聞いてみたい。
抑えきれない自分の行動や衝動、
湧き出る喜び、楽しい気持ち、どこから出てくるんだろう。
なんとなく、
苦しみは人それぞの千差万別、
でも喜びは共通でひとつしかない気がするんだ。
人の喜びを喜べた時が本物の喜びだっていうことは、なんとなくだけどそう思う。
なんかもっと答えがたくさん出てきそうなので、今日はここまでにしてまたゆっくり考えてみよう☁
ありがとう。