なんで自分はこんなに極端なんだろう。
いつも思ってしまうけど、極端には極端をぶつければちょうど良くなる気がする。

今日考えたことは、原動力のこと。
人って、まるでひとつのことを選んでいるようで、
その選択には万物が影響している。
全てが作用しているはず。
そう考えたらやっぱり自分が原動力じゃなければバランスって崩れちゃうんじゃないかなって思いながらも、
誰かのため、何かのために創作する意欲も、
純粋なんじゃないかなって思う。

とりあえず表現が怖い時、
“怖い”ってちゃんと言える人はすごい。

こうやって脳内を全部垂れ流せるのが、自分の良いところかもって思う。

自分の記憶の中で、
小さい頃ピアニカの最後がうまく弾けなくて悔しかったことがすごい残ってる。
その頃からずっと、「あといっぽ」でうまくいかないことがすごく多いんだ。

今はもはやわざとうまくいかないことを楽しんで、「次に繋げよう」くらいに思っているけど。

「むしろ自然と完璧にできることしかしちゃいけない」ってよく言われるけど、
何も恐れずこうして楽しく書けるなら、
やっぱり書くことが好きなのかも。
空気のように。
リリックを練るのも楽しいけど、
フリースタイルって一番自由で楽しいかも。

英語では超能力のことを、「スーパーナチュラル」って言うんだ。
超自然。
完全にナチュラルに脱力しても成し遂げられる能力なら、その人そのものだと思う。

呼吸をするように壮大な作品を仕上げられる人は尊敬する。
自分の場合はまるで水中で息を止めるみたいに、
祭りかのように一瞬で仕上げてしまわないとできないタイプ。
どんなにラフになってしまっても。
でもおんなのこを表現出来た時は心からとても嬉しい。
(“ありがとう”って描いたおんなのこのイラストから聴こえる)

突然だけど
イデアの中性的な肩が好き。
人間の体にはどちらも兼ね備わっているから、混ざっているって自然で美しくてドキドキする。

ねこちゃんとわんちゃんも、
先祖は”ミアキス”だったんだよね。
「わにゃん」て鳴くのかな?
絶対かわいい鳴き方だったよね。

こうやって人間て色んなことを一日2万回以上考えてるみたいなんだけど、
脳内をさらけ出すの嫌いじゃない。
“嫌いじゃない”って言い方、素直じゃないけど、それくらいがちょうどいいのかも。
「好き」ってなっちゃうと、
それこそエゴが出てきてしまったり、
自分から離れた場所まで手を伸ばさなきゃ感がでちゃうし。

「でも」っていう言葉にも、人間のそんな曖昧さが現れている気がする。
そんな小さな心の動きにも、電気信号は流れている気がする。

こんなにたくさん書いた日はよく眠れそうな気がするzzZ
読んでくれてありがとう。
嬉しいです。