うさぎの島にいきたい

ひさしぶり☁
ここのところすごい色々なことを考えていたけれど、
考えって永遠に出てくるので、一度家に帰らなければ!ってなった👀

こうしている時間も必要な時間。
だから”いけない”時間なんて存在しないし、
“いけない”存在も存在しない。
“いけない”出来事も。

言わないという言うがあるし、
やらないというやるもある。

すなわち失敗という言葉もない。
というのは宇宙の心理ということで決着が着いているんだけど、
あとはこれを自然に受け止められる自分の認識、というかどこに立っているか。

自分が正解であれば本当は正解を探す必要がなかったり、
実は愛して欲しいと思っている時、
いちばん誰に愛して欲しいかというと自分だったと気がついたりした。

愛することは愛されることなんだって、なんとなくは分かっていたけど👀
でもそれがなにゆえだろうだなんて考えたことなかったなぁ。

木村屋の蒸しケーキが大好きなんだけど、それは自分が木村屋の蒸しケーキのような存在だからだなんて気が付かなかった感じ。
それに気がついて認められた時、
初めて自分を愛することがでた気がする。

だからこれが本当の愛という感情なのかも。

逆の視点からみれば、自分が何かや誰かを嫌いな時、
自分の事が嫌いだからだと気がついた時は衝撃だった。

嫌われたくないという気持ちは、そもそも相手が自分を嫌うに決まっているという認識のスタートだし、
自分は嫌われるに値する存在だと自分で認識していること。
それはよく考えたら自分に失礼だし、相手にも失礼。
自分のこと嫌いになっちゃうよ。とも痛感して驚いた。

でもそれに気がついたら、
好きだということは好きだということ。
という素直な方程式が認定される。
好きな理由は嫌いだからじゃなく。

相手に嫌われることも愛することになる。
相手が自分を嫌う理由は、自分が素晴らしいからだと理解出来る。
(じゃあもっと嫌ってくれてもいいよ!ってなる。それは聖書の中の左頬をぶたれたら右頬を差し出せのお話に合致する。)

もっと考えると、同じように自分で気づいていないことが多すぎる自分に気づいたら最強。
(ソクラテスさんの無知の知)
そもそも、好きならば好きだと言わないという境地でもあるので、
自分が自分を信じて愛しているだなんて、とっくに忘れて人に愛を求めてしまう自分がいたのかっていう事実も驚愕だった👀

「嫌いなら一緒にいないよ!」とか、
「じゃあ証拠を見せてよ!」
とか少女漫画みたいなこと思うけど、
本当の証拠である愛は、目には見えないという事実🌹

あと超絶なるそもそも論を展開すると、
「こうに決まってる!」
と思っている時、
「こうに決まってる!」と言っている自分を信じてやまない状態。
それを疑ってやまない自分はよっぽど自分を信頼しているのだなと思う。

「こうに決まっている!」と言っていたけど、
実際に現場に行ってみるとそうじゃなかったりする。
(例えば地球の端っこは滝になっていなかったり)

自分を信じていた。自分を愛していた。
そのことに気がついたら、全てが愛に見える。
強情なんて張るんじゃなかったなぁ。って思ったりする。

こうに決まっていなかった。
(失敗など存在しなかったこととか、
自分はダメな存在ではなかったとか)

この期間にフィールドが全部見えた気がする。
全てが繋がった気がする。

本当に自分を愛していたら、誰がなんと言おうと言わないと、自分て素晴らしいんだ。
証拠がないことが証拠だし、存在していないという存在すらもあるんだし。
っていうのが、自分を信じるってことなのかもって思った☁

おまけ。
あと最初のお話、予定を決めない旅にとっても似てる🍞
前に、旅を適当に予約したら往復の往と復の間に1週間もあいだが空いていて、3日でギブアップして帰ってきた🐰
でもそのストーリーも含めて楽しい旅だったなぁ。
旅先でも菓子パン食べてコーヒー飲んだのが印象的。
その時の旅みたいに、なにがあってもなくても、時を共にしていることに感謝してる。